藤圭子の歌を“怨歌”と呼んだ作家・五木寛之はエッセーで「歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」と記している。
ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続でヒットチャート1位を記録。セカンドアルバム「女のブルース」を含め37週連続1位という空前の大記録を打ち立てた。
幼い頃から浪曲師の父と三味線瞽女の母との門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。中学を卒業する頃に一家5人で上京。西日暮里の六畳一間のアパートで暮らしながら、浅草や錦糸町で流しをしていたとき、作詞・作曲家の石坂まさをに見出され育てられた。
大ヒットを次々と飛ばすも10年で突然に引退。日本とニューヨークを行ったり来たりした末に宇多田照實と結婚。宇多田と離婚結婚を繰り返すも、2007年に正式に離婚。現役時代の収入や、娘である宇多田ヒカルが所属するユースリー・ミュージックの役員収入、100億円以上とも言われた離婚の慰謝料など、経済的にはかなり裕福だったことが推測できる。しかし、彼女自身は自己肯定感の欠如に悩むとともに、統合失調症にも見舞われていたとも言われており、決して満たされた人生だったとは思えない。3月に亡くなった石坂の葬儀には姿を現さず「しのぶ会」が行われる前日に命を絶った。
いまも幻聴のように聞こえる「嘘も吐きます生きるため 酒も飲みます生きるため 拗ねるつもりはないけれど こんな女でよかったら 命預けます」。
命預けます:作詞・作曲/石坂まさを
命預けます・他
https://www.youtube.com/watch?v=dGuOkXPt97c&list=RD02dGuOkXPt97c